由緒
文禄元年(1592)3月、豊臣秀吉朝鮮出兵の砌、其の催促により金谷村山根庄之助は人夫頭としてその召喚に應じ、出征の途次九州大宰府に到りし時、同地の天満宮に詣でて武運長久を祈願して渡鮮。次で各地に転戦して奉公の誠を盡し、慶長3年(1598)10月、神明の御加護により無事帰還することを得たるをもって帰途再び天満宮に参拝して神恩を感謝し、且つその御分霊を拝戴して帰国するや早速自宅の裏山に祀殿を創り、金谷の「金」と山根の「山」の二字をとり「金山天神」と称して現在の位置に奉齋し朝夕尊信したるが、漸次御徳の昂揚と共に遂に全村の尊崇するところとなり、天明元年(1781)6月吉日金山天満宮本社の建立なりて全村の氏神として廣く一般の崇敬するに到り、越えて嘉永6年(1853)11月社殿改築により再遷宮を奉仕し、次いで大正12年(1923)3月同村々社「岩谷神社」及びその境内末社「後醍醐神社」を合祀して村社「天満神社」となった。
境内社
稲荷神社
(左から)若宮社・木野山神社・後醍醐神社